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カイロプラクティックとは|京都市北区の上部頸椎(首)専門 ヒロニワカイロプラクティックオフィス

カイロプラクティックとはfirst

カイロプラクティックの歴史はこの2人から始まった。


ダニエルデビットパーマー(D.Dパーマー)(1845〜1913年)カイロプラクティックの発見・創始者

アメリカ・アイオワ州ダベンポートに住むハービーリラードと云うD.Dパーマーの使用人の男が約17年間に亘り耳が聞こえなかった。そこで1895年(明治28年)9月18日、D.Dパーマーは彼の背骨を診て隆起し変位(ズレ)していると思われる上部頸椎の2番の骨(C2)をアジャストメント(正しい位置に戻す)したところ、徐々に聞こえるようになった。

その後、他の患者の中の一人で心臓を患っていた娘の父親でありギリシャ人の学者で牧師でもあるサムエル・ウィード氏が「娘の心臓が良くなった事で、この素晴らしい手技に名前を付けたらどうか」と提案しギリシャ語で手の事を「カイロ」、施す事を「プラクティック」と云う事から「カイロプラクティック」と命名した。


これがカイロプラクティックの歴史の始まりとなり、1897年D.Dパーマーはアイオワ州ダベンポートにて現在のパーマー大学の前身であるパーマー・カイロプラクティックスクールを開校し、息子B.Jパーマーと共に発展に努めた。



バーレット.J.パーマー(B.Jパーマー)(1882〜1961年)カイロプラクティックの発展者であり又H.I.O学説を発表したスペシフィックアッパーサービカルカイロプラクティックの創始者

1906年B.Jパーマーが父よりスクールの権限を譲り受けた。 1910年 パーマーカイロプラクティックスクールに於いてX線診断を導入し、メリック・システム(各椎間孔から出ている脊髄神経の圧迫を取り除き病気を治すという考え方)を発表した。

1915年B.Jパーマーはアジャストメントを1カ所に限定するメジャーとそれ以外のマイナーの考え方を提唱 1924年 N.C.Mを導入1930年 H.I.O学説の考え方を基礎とした哲学・科学・技術(芸術)の定義を構築し、1961年に死去するまで上部頸椎専門カイロプラクティックの普及と発展に尽力を注いだのである 。